龍馬の脱走劇

 それは昨日の夕方のことだった。小雨の中、龍馬の散歩に出かけた私たち夫婦は、いつもの散歩道を歩いていた。すると、龍馬は側溝の金属のふたが破損している危険な場所でおしっこをしようとしたので、私はリードを強く引っ張り、強引に移動させようとしたのだ。それが、そもそもの間違いだった。龍馬がつけているハーネスは、とてもしっかりした構造に見えるが、頭の方向に強く引っ張ると、そのまま胴体からすっぽりと抜けてしまう欠点があった。私はそのことをすっかり忘れていた。妻が、「だめよ!」と叫ぶと同時に、龍馬は自由の身となってしまった。いつもは大人しくしている龍馬だが、ハーネスも首輪もない状態になると、鉄砲玉のようにどこかに行ってしまう。はね回っている龍馬を捕獲するのは至難の業だった。

 妻は龍馬のみを心配して泣き叫んでいる。私はと言えば、何をしていいかわからずただ茫然と立ちつくすだけだ。あのときの妻の叫び声を私は今も忘れることができない。「龍馬!戻ってきて!」大通りに飛び出せば車にはねられる可能性もある。早く龍馬を捕まえなければ何が起きるか分からないのだから、妻が泣き叫んだのも無理はない。

 そこへ、天の助けか、自転車に乗った一人の男性が現れた。彼は、私たちの状況をすぐに理解し、自転車の向きを変えて龍馬を追いかけてくれた。私は、最初は妻と男性が龍馬を追いかけていったのと同じ方向に向かったが、それでは意味がないと思い、彼らと反対の方向に小走りで向かった。そのうち、すぐそばにある中学校の方から「龍馬!」と叫ぶ男性の声が聞こえるではないか。龍馬はどうやら中学校の中に逃げ込んだようだ。私が急いで正門のところに行くと、龍馬は妻と男性に捕獲されていた。「あー、良かった」私のミスで招いてしまった「大事件」だったので、私の安堵はひときわ大きかった。

 ちょうど帰宅しようと正門のロータリーに出てきていた女性教師は、私たちの大騒ぎに不機嫌だったようだが、そんなことはどうでもいい。龍馬が無事に帰ってきたことだけで、私たちは大喜びだった。失敗したのは、龍馬を捕まえるのに協力してくれた男性の名前や住所を聞き損ねてしまったこと。いつかまた彼に会うことができるだろうか。

 その日の夜、何もなかったかのように家の中でくつろいでいる龍馬に、妻も私も同じ事を言っていた。「もう二度と逃げたりしちゃだめだよ。龍馬がいなくなったらパパもママも悲しむんだからね」散歩から帰った私たちは、実はすぐに近くのホームセンターに出向き、もう一つの首輪とリードを購入していた。ハーネスをつけた上に首輪をつけ、リードも2本つけていくという作戦だ。これならよほどのことがない限り、龍馬が逃走することはないだろう。でも、油断は禁物。私がしたようなミスは今後二度と起こさないように注意しようと、散歩に行く誰もが思った。

 「龍馬!戻ってきて!」という妻の悲鳴は、今でもまだ耳から離れることがない。妻にとって龍馬がどんなに大切な存在なのかという証明でもあり、妻が龍馬をどれほど愛しているかという証拠でもある。もちろん私だって同じだが、妻の気持ちは私よりも数段強いと思う。あの悲鳴だけは二度と聞きたくない。あんな悲しい思いを二度と妻にさせたくない。今も、そんなことを考えていると、心臓が鼓動を大きくする。

龍馬との出会い

 私たちが初めて龍馬と出会ったのは、インターネットのオークション上だった。実際にペットショップを訪ねても、なかなか気に入った柴犬の個体が見つからなかったものだから、私がインターネットで検索してみることにしたのだ。そして、たどり着いたのがオークションサイト。まさかペットまでオークションで入手できるとは思わなかった。そこには、数多くの柴犬が出品されていた。その中の一匹に私の目は釘付けになった。クマ五郎のような愛くるしい表情。「こいつに決めた!」私はすぐに入札した。値段などはちっとも気にしていない。でも、ペットショップで買うより数段安い値がついていた。(このまま落札できるのだろうか?)私の胸は入札終了の時刻が来るまで、どきどきしていたのを覚えている。

 期待通り、そのクマ五郎には私が落札することができた。インターネットオークションでは、出品者が落札者からすると遠隔地に居住している場合が多い。そういう場合は、例えば落札されたペットは空輸されたり、落札者が車で引き取りに行ったりする。私の場合は非常に運が良かった。出品者は茅ヶ崎市の隣にある平塚市でペットショップを経営しているご夫婦だった。クマ五郎は品評会に出品される予定で買い取り手が決まっていたものが、ドタキャンになってしまい、困り果てた預かり手のペットショップのご夫婦が、かわいがってくれる人に儲けは抜きで譲ろうということになったらしい。

 私と妻は、さっそくクマ五郎を引き取りに行った。うきうきする気持ちがなかなか抑えられない。しばらくドライブすると、例のペットショップに到着した。そしていよいよクマ五郎との対面だ。愛くるしい表情と小さな体。私たちはすぐにクマ五郎に夢中になってしまった。
 「もう名前は決めていらっしゃるのですか」
ペットショップの奥さんに訊かれた私は、思わず答えてしまった。
 「いいえ、まだなんです」
本当は名前は決めていたのだ。でも、あまりにも立派な名前なので、すぐに口にするのがちょっと恥ずかしかった。心の中で呼んでいた名前は、「龍馬」だった。そう、あの坂本龍馬の「龍馬」。ちびっこのクマ五郎にはまだ似合わない名前だったが、やがては名前に引けを取らない立派な柴犬に成長してくれることだろう。

 帰りの車の中で、龍馬は震えながら妻の首に襟巻きのように巻き付いていた。妻はもうすっかり龍馬のママ役にはまっていた。考えてみれば、生まれてから兄弟姉妹と引き離されて、親元も離れて、平塚のペットショップの経営者の家で、5匹のミニチュアダックスフントと一緒に暮らしていた龍馬にとっては、ママのぬくもりがどれほど恋しかったことか知れない。私たちが彼を引き取ったのが、ちょうど生後3ヶ月だった。まだまだ甘えたい年頃に違いないのだ。

 私たちは、家に帰る前に大きなペット店に立ち寄って、龍馬の陣地となるべき柵と大きなトレイを購入した。ペット用品は高価でなかなか馬鹿にならないが、可愛い一人息子のためだから仕方がない。家に着いた龍馬は、すっかり落ち着いていて、家族みんなの腕の中に抱かれていた。新しい陣地も気に入ったようだった。平成16年2月15日生まれの龍馬の新しい人生が、この日に我が家で始まった。私たちにとっては、本当に掛け替えのない、新しい家族の一員だ。

子供のころの龍馬

 子供のころの龍馬は本当にいたずら坊主だった。決して無駄吠えこそしないが、テーブルや椅子の脚をかじったり、ティッシュペーパーを全部箱から引き出してしまったり、スリッパは片方だけくわえてきて、頑として離さなかったり、ずいぶんと笑わせてくれた。その一方で、とてもお腹をこわしやすいナイーブな子でもあり、しょっちゅう獣医さんの世話になっていた。龍馬は車で病院に向かうときには、そのルートを覚えていて、顔が緊張でこわばる。でも、何度も車に乗ったおかげで、ドライブが大好きな犬に成長した。今ではめったに獣医さんのお世話になることがない龍馬だが、ドライブは三度の飯より大好きという具合だ。

ところで、小さい頃の龍馬には「お座り」と「伏せ」と「待て」は教えたが、「お手」は教えなかった。だから、今でも「お手」だけは頑強に拒んでやろうとしない。手を触ろうとすると、小さな声で唸るのだ。いつも温厚な龍馬にしては珍しく本気で嫌がっている。「三つ子の魂百まで」と私たち人間の諺に言うが、それは犬の世界にも通じることだ。

 龍馬が猫に興味を持つようになったのはいつからだったろう。庭を猫が横切れば、もう大騒ぎ。でも、「猫嫌い」なのではなく「猫好き」なのだ。猫と一緒に遊びたくて仕方がない。そうはいっても、猫にしてみれば犬と遊ぶなんてとんでもないことで、赤ん坊の頃から一緒に暮らしてでもいない限り、犬と猫が仲良くじゃれあうという光景は望めない。それこそ、龍馬が猫に近寄れば、一発猫パンチをくらって、下手をすれば大怪我をしかねない。そうとも知らず、龍馬は成犬になった今でも、猫を見ると大騒ぎをする。
 
龍馬が我が家に来たときには、車の中で妻の首に襟巻きのように巻き付いていたという話は前述した通りだが、そのことも関係しているのか、龍馬は人間のぬくもりの中でゆったりするのが大好きだ。一番好きなのは誰かに抱っこされること。特に妻に抱っこされるのが大好きらしい。私が抱っこをすると、少し窮屈そうにしている。やはり、家族それぞれに役割分担があるのだろう。犬は家族の誰か一人をボスに決めて、その他の人間に序列をつけると言うが、我が家では龍馬のボスが誰なのかは未だによく分からない。私がボスなのかと言えば、私に対して唸り声を上げるときもあるのだから、それは疑わしい。妻に対しても唸り声を上げることがある。まさか、自分がボスだと思っているなんていうことはないだろうなあ。そう言えば、ときどきベッドのど真ん中で悠々と寝そべっていることがあるから、要注意だ。

優しい性格

 龍馬のいいところは、基本的に優しく穏やかな性格の持ち主であることだ。人間だと、子供やお年寄りに優しい。特に、頼りない足取りで歩いているお年寄りを見ると、心配そうに見送りながらその場で立ちすくんでしまう。また、相手が子供だと、じっとしてからだをなでさせてあげている。尻尾をつかまれても平気だ。こんなにサービス精神旺盛な犬もめったにいないと思う。
 
 しかしながら、相手が犬の場合にはちょいとばかり難しい。まず気の合わない犬は、ボーダーコリーと、雄のラブラドール・レトリバー、それに雄の柴犬だ。特にボーダーコリーとは敵対する。いつだったか、海岸でくつろいでいるときに、リードから離れたボーダーコリーに襲われて噛みつかれそうになったことがある。そのときは、妻が龍馬を抱きかかえて、攻撃から身をかわすことができた。「母は強し」である。またあるときは、龍馬がボーダーコリーに襲われそうになって、妻が龍馬を抱き上げた瞬間に、そのボーダーコリーが妻の脚に噛みついたこともあった。そのときは、私が妻を病院に連れて行って、きちんと治療をしなければならないほどだった。だから、龍馬の脳裏には、ボーダーコリーは敵だというイメージが、強く焼き付いているのだと思う。困ったもので、飼い主である私も、ボーダーコリーが嫌いになってしまった。

 そのような例外を除けば、龍馬は非常に優しい。家族の誰かが体調を崩していれば、心配そうな顔をして近づいてくるし、誰かがあっと悲鳴に近い声を上げれば、「どうしたの?」とばかりに、急いで飛んでくる。幼い頃に5匹のダックスフントの中で、かわいがられながら育ったことが龍馬の優しい性格を作ったのか、それとも我が家に来てからみんなにかわいがられて育ったことがそうさせたのか、いずれにしても龍馬の優しさには誰もが癒やされるに違いない。

 龍馬は穏やかな犬でもある。猫が来て大騒ぎをするとき以外は、滅多に吠えることはない。「昼間はいないのかと思うくらい静かよ」と近所の人から言われるくらい、龍馬はやたらと興奮して吠えたりはしない。配達の業者が玄関口に来ても吠えないのだから、まず番犬にはなれないだろう。それも、龍馬のいいところなのだと思う。

 人間の子供が周囲の環境で性格を決定していくように、龍馬も彼を囲む人間の接し方で犬としての性格を決定してきたのだ。私たち家族の中には、彼を犬畜生として見下す者は一人もいない。それどころか、誰もが自分のことより龍馬のことを優先して考えている。それは、龍馬を殿様のように扱って甘やかしているという意味ではなく、犬として自分を守る手段が少ない龍馬を、精一杯守ろうとしているということだ。特に妻の龍馬に対する愛情は、誰のものより勝っていると思う。龍馬が逃走して泣き叫ぶくらいだから、そのかわいがり方は想像できるだろう。龍馬はそんな環境の中で育ってきたのだ。
 つい先日、散歩の帰り道に末恐ろしい光景を目にしてしまった。脇道から飛び出してきた猫が、自転車に轢かれてしまったのだ。猫はタイヤの真下に入ってしまったが、つぶされてはいなかった。怪我がどの程度のものだったかはわからないが、驚いた猫は一目散に事故現場から走り去ってしまった。それを見ていた龍馬は、悲しそうな鳴き声を何度も何度もあげたのだ。きっと怪我をした猫が心配だったに違いない。興奮して、その遠吠えはなかなかやまなかった。龍馬のこんな取り乱した姿は滅多に見たことがない。そんな優しい龍馬に比べれば、表情も変えずに猫と同じように走り去ってしまったあの女性は、人間として最低だと思う。そういう感情に乏しい人間が多いのは悲しいことだ。

飼い主との距離?

 "Shiba"という雑誌がある。柴犬の専門誌である。ある日、龍馬はその雑誌の取材を受けることになった。私が雑誌のアンケートに答えたのがきっかけで得た、輝かしいチャンスだった。取材のタイトルは、「飼い主との距離」。私が、アンケートに、龍馬が私たち夫婦と微妙な距離をとって、私たちを観察していることがある、と書いたからだ。私はそのタイトルを聞いて困ってしまった。なぜなら、龍馬は私たちとそれほど距離を置くことがない、というのが現実だからだ。
 
 取材陣が来た日、龍馬は大喜びで取材陣を迎えた。えっ?これが、人間と微妙な距離を置く犬なの?きっと取材陣は疑問に思ったことだろう。取材が始まり、何枚写真を撮っても、なかなか取材のタイトルにふさわしい絵にならない。そこで、結構やらせの写真を撮らざるを得なかった。私と龍馬がお互いに背中を向けてベッドに横たわっている写真。そのときは、背中と背中の間をあけていたが、普段は龍馬の背中が私の背中にべったりとひっついている。つまり、微妙な距離も何もないのである。だから、れっきとしたやらせの写真だった。

 ということで、何百枚もの写真が撮影されたが、その中で取材陣を満足させるものはほんの数枚だったろうと思う。撮影場所をわざわざ家から海岸まで変えて撮影は4時間ほどもかかったが、龍馬はただの「可愛い犬」で終わってしまったかも知れない。後日完成して郵送されてきた雑誌には、2ページにわたって龍馬の特集記事が書かれていた。編集者の技術でよくまとめられている。飼い主とべったりの生活をしている龍馬を、巧みに微妙な距離を維持する犬に仕立て上げてくれていた。

 実際、龍馬は寂しがり屋なので、私たちと距離を置きたいと思うことはないと思う。ただ、自分が眠たいときだけは、他人に邪魔されたくなくて、私たちがしつこく接近しようとすると、小さく唸って抗議することがある。でも、それ以外のときは、常に私たちの近くにいる。妻か私のどちらかが出かけようとすれば、あわてて追いかけて来るし、帰宅したときはちぎれるほどに尻尾を振って歓迎してくれる。龍馬はドライブが大好きだから、私が「ドライブ」とか「買い物」という単語を口にして車の鍵を手にすれば、大急ぎで私の足下にやって来て、私に飛びついてくる。「僕も連れてってね」という意思表示だ。あんな真剣な目でおねだりをされたら、龍馬を置き去りになどできやしない。そして、数分後には龍馬は「車中の人」ならぬ「車中の犬」となる。

 私は、後ろ座席の両側の窓を20pほど開けてやる。すると、龍馬はその隙間から思い切り顔を出して、外の空気と匂いを楽しんでいる。その様子は、本当に愛くるしい限りだ。どんな短いドライブでも、龍馬は私たちと一緒にいることを選びたいようだ。もちろん長いドライブなら大歓迎という感じだろう。獣医さんに頻繁に通うことでドライブが大好きになった龍馬だが、今ではドライブは私たち夫婦と一緒にいるための手段の一つになった。たまには、本当に長いドライブに連れて行ってあげなければならない。京都まではまだ無理だと思うが。

甘えん坊将軍

 龍馬の甘えん坊ぶりは、年齢を重ねるに連れて加速しているように見える。特に、私の妻に対する甘え方は尋常ではない。夜は妻の布団の中に入ってきて、自分が暑苦しくなるまではいつまでも妻にべったりと身を寄せている。なぜか私のところには来ないのがおもしろい。きっと龍馬にとっては、自分が心から甘えられる存在が妻なのだろう。前述したとおり、龍馬が初めて我が家にやってきたときには、妻の腕に体を埋めて、襟巻きのように妻の首に巻き付いていた。初めてのぬくもりを与えてくれた妻は、龍馬にとってはまさに母親そのものだったに違いない。

 先日、妻と私が京都に旅をするというので、龍馬は2日間、団地に住む妻の両親の元に預けられた。預けられたと言っても、夜は義母と一緒に家に帰ってきて、義母が私たちのベッドを使って龍馬と一緒に寝てくれたそうだ。そのときも、最初は妻と違う人間がベッドに横たわっていることに気づくと、すぐにベッドから出てしまったらしい。そのうち、だんだん自分が置かれた状況に慣れ、最後は義母の足元あたりに潜り込んで、いつものように眠ったそうだ。

 飼い犬を甘やかしすぎてはいけないと主張する人もいる。でも、妻と私の意見は少し違う。厳しく叱るところはしっかりと叱った上で、甘やかすところはたっぷりと甘やかしていいと思う。なぜなら、犬の一生は人間の5分の1くらいの長さしかないのだから。だから、いくら甘やかしても甘やかしすぎということはない、とも言えるのだ。彼らを強く叱ったときの、あの申し訳なさそうな目を見たことがあるだろうか。長くしつこく叱ってはいけない。そんなことをしたら、彼らは自分がもしかしたら愛されていないのではないかと、誤解してしまうかも知れない。

 散歩から帰った龍馬は、たいていベッドの上で大騒ぎする。そして、最後に「ガルルーッ」と吠えて、妻か私のどちらかを呼ぶのだ。それは「遊んでよー」という合図であったり「なでなでしてよー」という意味であったりする。「なでなでしてよー」の場合には、腹を上にして寝転がって、片手も宙に挙げている。願いが叶ってなでなでしてもらっているときには、鼻をくんくん鳴らして思いっきり甘えてくる。特に妻はなでなでするのが上手い。基本的に、一緒に遊ぶのはパパである私の役目で、なでなでするのはママである妻の役目だ。なでなでが下手な私は、手を突っ張られたり、足を腕に乗せられたりしてしまう。

写真が嫌いな龍馬

 龍馬のいい表情をカメラに収めるのはとても難しい。なぜなら、彼は写真があまり好きではないからだ。これはという表情をしていると思ってカメラを用意すると、次の瞬間龍馬は表情を変えてしまう。それどころか、どこかに移動して居眠りを始める有り様だ。それでも、龍馬が気がつかないうちに、素晴らしい写真は何枚も撮影することができた。彼は飼い主であるパパの私に似ず、至って男前である。散歩で会う人は口をそろえて彼の顔つきを褒めてくれる。それはお世辞ではなく本当にきれいな顔をしているのである。体形もたくましいし、彼の凛々しい姿は血筋の良さを物語っている。

 それにしても、なぜ龍馬はそんなに写真が嫌いなのか。フラッシュの光がまぶしいからか。それとも、照れくさいからなのか。理由は全く理解できない。ママに抱っこされて撮影されるときも、どうにかしてカメラから視線をそらそうとする。全くおもしろい犬なのだ。

 私のコンピューターの背景には、大きく龍馬の顔が写っている。それはそれは愛くるしい表情だ。しかし、実際に龍馬と目を合わせて長い時間が過ぎることはあり得ない。確か、どこかの本に、犬と目を合わせるというのは、喧嘩をすることを意味すると書いてあった気がする。もしかしたら、龍馬がカメラを嫌うのはそのせいかも知れない。

右手は触らせたくない

 龍馬のおもしろい癖で、左手は触られても文句は言わないのに、右手はなかなか触らせたがらない。彼は右利きなのかも知れない。それでも、手をマッサージされるときには、右手でも平気で触らせてくれる。随分都合のいい癖だと思う。

 基本的に、犬は手足の裏側を触られるのを嫌がる。それは、その部位が一番繊細な場所だからだ。それを無理に触ろうとするのは、飼い主側の我が儘だろう。でも、手足の裏がマッサージのポイントであることも確かのようだ。だから、多少嫌がっても、ていねいにマッサージすることで、手足の裏を触ってもらうと気持ちがいいと理解してもらう必要がある。これは大変素晴らしいスキンシップになる。

 ただし、後ろ足を触るときには注意しなければならない。なぜなら、反射的にキックする可能性があるからだ。別にこちらの手足をキックされるなら問題はないが、顔をやられたらひとたまりもない。本人は意図的にやっているわけではないから、怒るわけにもいかない。とにかく、後ろ足に触れるときには顔を近づけないようにしなければならない。

 一つおもしろい話がある。あるとき、私が「龍馬のあんよはアヒルのあんよみたいで、変な形だね」とからかうような口調で言ったのだ。すると、龍馬はむっとした表情になった。妻が言うには、龍馬は私が足のことをからかったのを理解しているのだとか。妻は龍馬の通訳のような存在だから、本当にそうなのかも知れない。実際には、龍馬の足は筋肉隆々でなかなかかっこいい。今度はちゃんと褒めてあげなければ。

外を眺めるのが大好きな龍馬

 今のマンションに越してくる前に住んでいた家でも、龍馬は南に面した窓際に座って、いつも庭の様子を観察していた。そこは猫の通り道にもなっていたので、猫が大好きな龍馬にとっては興味津々の場所だったのだが、龍馬の関心はそれだけではなかったと思う。

 現在のマンションには、もちろん庭などない。それでも、龍馬は私たち夫婦の寝室のベッドの上に陣取って、窓の外を一生懸命眺めている。窓から見えるのは大通りと、その向かい側の建材屋である。今度は猫がのんびり通過するということはないだろう。ただ、散歩の犬を見つけては大騒ぎしている。龍馬は、ベランダに出てフェンスの下の隙間から外を眺めるのも大好きだ。昼夜問わずそんなことに夢中になっている。

 散歩のとき以外は、いつも部屋の中で過ごしている龍馬にとって、外の世界とそこに満ちた匂いはあこがれの的なのかも知れない。本当なら草原にでも連れ出して、リードをはずして思い切り走り回らせてあげたいところだが、リードのない龍馬が自分から私たちのところに出頭するということも非常に考えにくい。今まで6回ほど逃走を試みた龍馬は、その都度私たちが大捜査線を引いて捕まえていた。だから、どこかしっかりした柵のある草地で、自由に遊ばせてあげたい。私はそんな夢を何度も見たことがある。もし私が何百億円もの資産を持っていたなら、豪邸の隣に龍馬専用の草地を作って、そこで毎日龍馬を遊ばせてあげようと思う。その草地は人工芝を敷きつめて、全天候型の施設にする。そうすれば、豪雨や豪雪の中、お互いに苦労して散歩をする必要もなくなるだろう。そんな夢のような話を、私は何度も空想した。

 考えてみれば、龍馬は散歩の最中に全速力で走ることがないので、力が有り余っているはずだ。家の中では、ベッドから飛び降り、またベッドに跳び上がるという曲芸を見せてくれてはいるが、それだけでは十分ではないだろう。海岸に連れて行って、私が一緒に走れば少しはストレスの解消になるかも知れないが、それも一瞬だけしかできない芸当だ。

 龍馬の脚力はものすごく強い。細い足なのに筋肉はしっかりと発達していて、特に後ろ足の筋力は大変なものだ。龍馬と戯れていて、間違って後ろ足で蹴られでもしたら、大変なことになる。最後に龍馬がハーネスから抜け出して脱走したとき、龍馬は道路の上をバンビのようにぴょんぴょんと跳ねていた。軽快なジャンプだった。その後は、一目散に逃げていってしまった。最終的には、中学校のグラウンドを疾走していたそうだが、それはそれは素晴らしい走りっぷりだったに違いない。

 龍馬が窓の外を眺めているのは、もしかしたら外に出た自分を想像しているからなのかも知れない。大通りを自由に駆け回っている自分を想像して、夢中になっているのだろうか。車に乗って出かけるのが大好きなのも、車が動いているので自分が一緒に走っている感覚を味わえるからなのだろう。今は冬のまっただ中なので、窓を大きく開けることはないが、窓を開けているときには外の種々雑多な匂いをかいで、さらに自由になった気持ちになっているのかも知れない。

言葉を理解する力

 犬は人間の発する言葉の調子(語調)で、人間の気持ちを理解するのだと言う人もいるかも知れないが、私が龍馬を見ている限りでは、必ずしもそうとは言えないと思う。確かに私や妻が何を言おうとしているのか理解できないときもあるようで、そういうときにはぴょこんと首をかしげる。それはものすごく高度な自己表現だろう。犬は私たち人間が思っているほど知能が低くはない。

 こんなことがあった。私が仕事先に妻を迎えに行こうとしていたとき、ベッドの上に座っていた龍馬に、「行く?」とひとこと言ったのだ。私は龍馬が「うん」と答えたように見えた。なぜなら、龍馬はすぐにベッドから飛び降りてきて私の足元にお座りをしたからだ。そこで、私はもう一度言った。「一緒にママを迎えに行く?」今度は龍馬は私の膝に両手をついてきた。しっぽも振っている。これは龍馬が完全に私の言葉を理解した証拠だろう。いつもなら、私が車の鍵を手にしたときに、「一緒に連れてって」と言わんがばかりに私に飛びついていくることはある。それは、私の動作を見て反応しているわけだが、そのときは完全に私の言葉を理解したのだ。

 どの犬にもそのように人間の言葉を理解する能力が備わっているのかどうかは知らない。でも、龍馬には確かに言葉を理解する能力がある。一般的に、柴犬は頭が良く、人間で言えば3歳児ほどの知能があるとされるが、私の感覚ではそれ以上だ。それは親の身びいきだと言われてしまうかも知れないが。

龍馬にとってのボスは誰?

 犬は、幼い頃のある時期に自分のボスに当たる人間を一人だけ決めると言われている。それでは、龍馬にとってのボスは一体誰なのだろう。龍馬がママっ子でママのことが大好きなのは確かだが、それではママがボスなのかと言えば必ずしもそうとは言えない気もする。それでは、パパがボスなのかとなると、それも怪しい。別に誰がボスでも構わないが、気になるところだ。

 ある夕方の散歩の時、お弁当屋さんに注文しておいたお弁当を取りに、途中で妻が抜けてしまったことがあった。もう少しで義父母が住んでいる団地に到着して夕ご飯を食べられるというというのに、龍馬はママの方を何度も振り返って、先へ進もうとしない。私が強引に引っ張っても、少し進んでは後ろを振り返るという有り様。こういう様子を見ていると、やはりママがボスなのかなと思う。いたずらをしてママのスリッパをくわえているときでも、ママが龍馬を抱き上げて強く叱ると、くわえていたスリッパを放してしまう。大好きなままであっても、やはり怖いのだろうか。もしそうだとしたら、確実にママがボスだと言えるだろう。

 妻の話では、龍馬は私がいなくなると、あわてて私の姿を探すらしい。私は龍馬にとってパパであり、強い味方であり、ボディーガードのような存在なのだろうか。それとも、ただの仲のいい友達?龍馬が人間の言葉をしゃべれるのなら、ぜひ訊いてみたいといころだ。意外と自分自身をボスだと思っていたりして。

 ちなみに、龍馬は夜寝るとき私たちのベッドに潜り込んでくるが、それはたいがいママの方であって、私の方に寄り添ってくることはほとんどない。それが何を意味するかは知らないが、龍馬が誰をボスだと決めているかを知る手がかりになるだろうか。

あんなに温厚な犬だったのに

 龍馬は他の犬に対しても人間に対するのと同じように温厚だった。しかし、年齢を重ねるにつれて、特に雄犬とは仲良くじゃれることはなくなった。特に、柴犬の雄とは絶対に仲良くできない。昔から、ゴールデンレトリバーやラブラドールレトリバーなどの大型犬の雄とは相性が良くなかったが、最近では小さな犬でも雄だと友好的な態度をとれなっくなっている。雄同士だと、どうしても自分を大きく見せたいのか、それとも本能的に縄張り意識が前に出てしまうのか、とにかく雄犬とすれ違うときには要注意だ。今まで龍馬が他の犬に噛みつくことはなかったが、突発的な事故が起きないとも限らない。

 龍馬は怒って私の手を噛もうとする振りをすることがあるが、決して本気で噛みつくことはない。私の手が口の中に入っても、甘噛みしかしない。どんなにふざけて暴れていても、龍馬はその一線だけはしっかりと守っている。ちょっと強く歯が当たってしまったと思うと、心配そうにぺろぺろ舐めてくる。そんな優しい龍馬なのに、犬同士だとそうはいかない。

 ところが、相手が雌犬だと状況は一変する。仲良く鼻をつき合わせて一生懸命友達になろうとするのだ。雌犬が龍馬に飽きて吠え始めるまで、龍馬は友好的な態度をとり続ける。それでも、龍馬に思いを寄せる柴犬の雌たちに、龍馬がなびくことはなかった。相性のいい雌がいれば、子供をもうけてもいいのではないかと思っていたが、その思いは叶わなかった。龍馬は、名前の通り、幕末の志士坂本龍馬のように常にひょうひょうとしている。

強情な龍馬

 龍馬はとても強情な犬だ。自分がこうと思ったら、てこでも動かない。龍馬の踏ん張る力は、相当なものだ。最近では、散歩から帰ってきたときに、なかなかマンションの階段に近づこうとしない。「もっとお外にいたいよう」というアピールらしい。思い切りリードを引っ張れば、以前のようにハーネスが外れてしまって、またまた逃亡劇の再現になりかねない。だから、通りからマンションの階段のところまで連れてくるのに、結構な時間がかかる。全く困ったものだ。

 義父が担当してくれている朝の散歩の時にも、龍馬は自分が行きたくない方向へは絶対に行かないそうだ。逆に、自分がどうしても行きたい場所には強引に義父を連れて行こうとする。義父の散歩が、ときには1時間30分近くかかってしまうのは、そのせいらしい。

 犬というのはこんなにも強情なものなのだろうか。それとも、大切に育てられすぎた龍馬が、ただ単にわがまま犬に育ってしまったということなのか。我が家のたった一人の息子である龍馬。私たち夫婦の愛情が全て注がれてきたことは間違いない。でも、それで祖父を引きずり回すようでは困ってしまう。強情とわがままの違いを今からでも教え込むことはできるだろうか。

ママをしっかり守る龍馬

 新年早々妻が体調を崩してしまった。年末年始と一生懸命働きすぎて、風邪をひいてしまったようだ。何度もトイレで吐いては、おでこに冷えピタクールを貼って、布団にくるまっている。我が家ではいつもは居間と寝室の間の引き戸を開けたままにしてあるが、それだとまぶしくて眠れないので、今は締めてある。つまり、寝室の方は真っ暗な状態だ。

 さて、龍馬は真っ暗な寝室を選ぶか、それとも明るいリビングを選ぶか、どっちだろうと思っていると、彼はママが寝込んでいる真っ暗な寝室の方を選んだのだ。きっと、ママが調子を崩して苦しんでいるのを知って、護衛役に徹しようと決心したのだと思う。龍馬はママっこだから特にそうなのだ。大好きなままが苦しんでいるのが、心配でたまらないのだろう。

 パパがリビングでパソコンのキーボードをカチャカチャ打っているにもかかわらず、龍馬は引き戸をひっかいて開けてくれとは言わない。先ほどからずっと静かにしている。全く、大した犬だと思う。きっと、自分がずっとそばに付き添っていれば、ママの調子が良くなると信じているのだろう。龍馬の思いが、ぜひ通じますように。

龍馬の優しい誤解

 妻はあまり腰が丈夫ではない。だから、腰が痛くなると私が背中から腰にかけてマッサージをしたり、たたいたりしている。その叩くという行為が、龍馬には気に入らないらしい。私が妻の腰の辺りを叩き始めると、ものすごい剣幕で吠えるのだ。龍馬はママが大好きだが、その大好きなママを私がいじめているとでも思うのだろうか。

 ついさっきも、台所仕事をしている妻の腰を叩いていたら、龍馬がやってきて吠える吠える。私がわざと叩き続けると、龍馬の剣幕は頂点に達しそうになった。もう一度同じ事を繰り返してみると、今度は龍馬お気に入りの猿のぬいぐるみをくわえて、思い切り振り回している。とにかく、私に妻を叩くのを止めてもらいたいのだろう。果たして、妻が私の腰や背中を叩いたら、同じ反応を示すのだろうか。私の予想はノーだ。龍馬にとって、自分が守るべき存在はママである妻だけなのだ。

 そこでもちろん実験してみた。椅子に座っている私の腰を妻に叩いてもらって、その上で外を眺めている龍馬に向かって悲鳴を上げてみたのだ。するとどうだろう。龍馬は知らんぷりして悲鳴を上げている私には全く興味を示さないではないか。やはり私の予想は当たっていた。龍馬は妻を守るのに必死になっていたのだ。パパは自分が守るべき弱い存在ではないのだろう。ちなみに、同じ椅子に妻に座ってもらって、今度は私が妻の腰の辺りを叩いてみた。もちろん、龍馬は妻を救いにやってきた。

ものすごく鼻の利く龍馬

 龍馬はものすごく鼻が利く。犬の嗅覚は人間の400倍だと聞いたことがあるが、本当にびっくりさせられる。私が冷蔵庫から龍馬に気がつかれないようにこっそりチーズを出して、音を立てずに包み紙をむき、さあ食べようかというときになると、寝室でぐっすり眠っていたはずの龍馬がいつの間にかそばにいる。これには笑わせられる。何度試してみても、龍馬は大好きなチーズのかすかな匂いも逃さない。そして、いつもしっかりと一部をいただいていく。

 鶏肉などの肉類が入った料理を食べようとするときも、いつの間にか龍馬の顔がテーブルの上に出ている。できるだけ人間が食べるものはあげないようにしていても、あのうるうるした瞳を見てしまうと、口の中でできるだけ塩分を取って、少しだけあげてしまう。こういう飼い主の甘さがいけないのだ。最終的に収穫があることを知っている龍馬は、余計匂いに敏感になる。

 龍馬が車に乗ったときに、後部座席の窓を20センチくらい開けておくと、その隙間から頭を丸ごと出して、外の情報を必死で集めているのも、異常に敏感な嗅覚のためだろう。散歩の時にも、草むらの匂いをいちいち点検しながら歩くのは、私たち人間にはわからない情報が、あちこちに散りばめられているからに違いない。大したものだ。

ついにカレンダーになった龍馬
   
 私たちは柴犬が大好きなので、去年に引き続き今年も「犬川柳」(辰己出版)というカレンダーを買った。壁掛けと卓上の両方を購入した。辰己出版は、「Shiba」という雑誌を出版している会社で、以前龍馬の取材に来て、龍馬を雑誌で特集してくれたところだ。そのカレンダーの3月のページに載っている柴犬が我が家の龍馬だと、妻が言い出した。確かによく見ると龍馬なのだ。しかし、出版社からは何の連絡もない。そういえば、「Shiba以外でも龍馬の写真を使うかも知れない」と言われていたことを思い出した。私は最初は半信半疑だったが、今ではその犬が龍馬であることを確信している。龍馬はついにカレンダーになったのだ。

 龍馬は血統のいい両親から生まれているだけあって、顔つきや体格が非常に優れている。他にも可愛い柴犬はいるかも知れないが、龍馬ほどハンサムな柴犬はそうそういない。親ばかだと言われるかも知れないが、それは周囲の人たちからも言われることなのだ。本当なら、龍馬の血筋を絶やさないためにも、子供を作らせてあげたいのだが、共働きの私たちにとって、今子犬の面倒を見ている余裕はない。無責任な気持ちで子犬を引き受けるわけにはいかないから、私たちは龍馬と他の雌の柴犬との交配をあきらめたのだ。とても残念なことだとは思うが。

 彼の写真は、これからも何かの場面で使われるかも知れない。それを、私たちは誇りにしていこうと思う。私は、今までにものすごい数の龍馬の写真を撮ってきた。そのうち、これはと思うものは、全てホームページ上に公開してある。短い犬の一生だからこそ、私はこれからも彼の写真を撮り続けていきたいと思う。いつの日か、龍馬は私たちよりも早くいなくなってしまうかも知れないが、そのときのためにも龍馬との思いでは精一杯大切にしなければ。

 




















 ところで、出版社はなぜ龍馬の写真の所に「犬なりに夫婦喧嘩に胸痛め」という川柳を載せたのだろう。私たち夫婦は大した喧嘩もせずに、いつも仲良く過ごしているのに、面白いと思う。ただ、龍馬が人間の言葉を良く理解していることや、私たち夫婦の行動に敏感であることは確かだ。パパとママにはいつも仲良くしていてもらいたいという願いも、本当のことだと思う。ちなみに、「斜に構え密かに愛をはかる俺」という川柳の上の写真は龍馬ではない。このカレンダーには、いろいろな柴犬の写真が掲載されていてなかなか楽しくできている。


黒い腹巻きを買ってもらった龍馬
 
 小さい頃からお腹を壊しやすかった龍馬。何度か腹巻きを買うことを考えたのだが、龍馬用の毛布をかぶせてあげればそれでいいだろうと思い、実行せずにいた。2月の終わりに、3年生の卒業遠足の引率で東京ディズニーランドに行ったときも、女性用の可愛い腹巻きが売られていて、龍馬にちょうど良さそうなのでもう少しで買いそうになった。でも、ディズニーランドのお土産はたいていが高値なので、地元に帰ってくればもっと安く買えるだろうと思い、買うのは止めた。それが、先日のこと、妻が黒い腹巻きを突然龍馬のために買ってきたのだ。なぜ黒かというと、それは妻の好きな色が黒だからだ。驚くなかれ、龍馬はその黒い腹巻きが気に入ってしまった。 
普通ならそんな余計なものを着せられるのは迷惑だろうし、無理矢理着せようとすれば嫌がるに決まっている。それなのに、龍馬は黒の腹巻きをするのが大好きでちっとも嫌がらないのだ。なぜなのかはよくわからないが、もしかしたらその腹巻きをするとお腹が温まって、調子が悪くならないのを本能的に悟ったからなのかも知れない。龍馬はとても頭のいい犬だから、そのくらいの知恵が働いてもおかしくはない。妻が腹巻きを買ってきてからは、一日も欠かさず夜になると龍馬の腹巻き姿を目にすることができる。龍馬はその腹巻きを朝まではずそうとはしない。もちろん、朝になって自分から腹巻きをはずそうとしたとしたら、本当にすごいことだとは思うが、さすがにそんなミラクルは起こらない。
 いつかは替えの腹巻きを買うときが来るかも知れないが、そのときはぜひ赤かピンクの腹巻きにしてもらいたい。龍馬は普段の散歩の時に赤のハーネスをしているから、きっと似合うだろう。ちなみに、腹巻きをするようになってから、龍馬がお腹を壊すことは全くなくなった。こんなことならもっと早くに腹巻きを買うんだったと妻はしきりに反省している。いやいや、私がなかなか決心がつかずにいたのに、思い切って腹巻きを買ってきただけ、妻は偉いと思う。龍馬も妻に感謝しているに違いない。
我が息子龍馬